生きているとは


行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止とゞまる事なし。
世の中にある人と住家と、またかくの如し。
方丈記/鴨長明


毎日を無意味に過ごしていると、中学校の頃に習ったこんな文を思い出したり。
まあ、特に意味はないんだけれども。
僕の人生、誰かが助けてくれる訳じゃ無し。
自分の両足で立って生きている事が、最近、微妙に疑問になってきました。


どんなにもがき苦しんでも、結局は一人だと言う事実。
そんな事実とたまに向き合うと、人生ってなんだろうと思うのです。
人は、一人で産れてきて、一人で死んでいくのかな。
そんな事を思う訳です。


寂しいのか、生活に疲れたのかは分からない。
ただただ、「生きている事」と言うのが、どんな事か分からなくなる事がある。
自分の生きたい様に生きると言うのも、色んな意味で限界がある。
仕事、収入、年齢、学歴、キャリア。
そんな物に縛られてでしか、人は生きられない。
悲しい位、当たり前の事なんだけれどもね。


と言う訳で、暗く重い出だしで始まりました今日の日記。
うん、手の動くままにタイピングをしてつらつらと文章を書いてみたけど、どう展開させたらよい物やら。
たまに人生について思いを馳せてみたりすると、こんなにグダグダになるとは。
ただ一つ言えるのは、今、死んじゃったりなんかしたら、絶対に良い人生だった。とは言えない生き方してるだけで。


生きている意味なんて、死ぬ寸前まで分からないと思っている。
人生なんて過程ではなく、結果でしか語れないと言うのが僕の信条だ。
だから、一瞬一瞬の浮き沈みなんかあんまり気にはしていない。
僕の人生とは、イメージで言うと登山なのだ。
頂上に辿り着くまでに、ずっと上り坂を登る訳ではない。
たまには、平坦な道や下り道に出会ったりもする。
だけれども、最後には頂上に辿り着くのだ。


今の僕が悩んでいるのは、下り道に出会っているとかではなくて、どんな山を登ろうとしているのか?って事。
人生35年も生きていて、今更こんな事を言うのは、かなりアウトだとは思うんだけど。
なんて、中学生みたいなカミングアウトをして、今日の日記はおしまい。
今日も日記のネタを適当に腐らせつつ、僕は眠るのだ。
ああ、消化不良。


そんな訳で、これを見ている女性は遠慮無くメールをくれると良いと思った。
まずは、僕を登頂させてくれる人を募集しています。
なんてベタな下ネタでもOKの人、大歓迎。