今度の日曜日?
なにやら、日記を書こうとするとウインドウの上の方に「今週のお題」とある。
今週のお題は「母の日」だそうな。
きっと、何人もの人達がこのお題で文章を書いているのだろう。
残念な事に僕の母は、26年ほど前のゴールデンウィークのど真ん中に鬼籍に入ってしまったが。
それからは、我が家には母親はいない。
色々有って父が再婚しなかったせいか、継母もいない訳で。
お陰で、継母のせいでグレる。と言う、思春期にありがちなイベントも起きなかった訳ですよ。
まあ、人並みにはグレてましたけど。
母親がいないからと言って、特にこれと言った不自由は感じた事がない。
いないお陰で、子供の頃から家事をせざるを得ない状況だった。
当時は週休二日という言葉もなく、父が働いている分、僕や姉が家事をしなくてはいけない状況だった。
食事の用意は大変だった(特にメニューを考える事)が、他の家事は殆どが機械で出来る。
大変だったかと言うと、そうでも無かった。
よく穴の開いた靴下を、縫って修繕していた気がする。
服や靴に不自由した記憶は無いが、何故か靴下だけはいつも足りなかった。
そんな訳で聡です。
ちょっと、子供の頃を思い出したら、靴下の記憶が甦って来ました。
今は服は余り買わない物の、下着だけは豊富にストックしています。
きっと、この記憶が予備をたくさん買わせているのでしょう。
常に5着くらいのスペアが無いと落ち着きません。
母の日と言っても、特にこれと言った感慨も湧かない。
親孝行も何も、有り難みを知る前に他界してしまったからね。
子供の頃は、何か悪い事がバレる度に母親がいない事に感謝していた。
怒る人が一人いないから、怒られるのが半分で済むからだ。
今、生きていたら、僕の現状を見て何というか?それは興味が有るが。
世間一般の親の様に、呆れているのだろうけど。
じゃあ、母親の事はもう記憶に無いのか?と言えば、そうではない。
きっと、どこからか僕を見ているのだろうと思う。
昔、クルマに乗っていて、クルマが大破した自損事故を起こした事がある。
ガードレールの支柱にまっすぐ突っ込んでしまったのだ。
ボンネットは遙か崖の下に落ちていき、フロントガラスは砕け散り、フロアはぐにゃりと曲がって、もの凄い勢いで突っ込んだのが分かる事故だった。
そんな事故を起こしても、運良く無傷だった。
クルマを見た人や事故現場を見た人からは、病院送りになっているかと思ったと言われた。
この事故で無傷だったのが、母親のお陰だという訳ではない。
事故を起こした後、5時前の時間に父親と親しい友人に連絡をした。
みんな、僕が事故を起こしたのでは無いか?と思っていたと言うのだ。
友人の言葉を借りると、夢を見たのだと言う。
僕が、もの凄いスピードで運転しているクルマの後部座席に女性と座って乗っている夢だ。
今にもぶつかりそうな危なっかしい運転だったという。
夢の中で、僕は注連縄のある神社に入れずにぐるぐる回っていたと言っていた。
多分、母親がそうやって周りの人間に知らせてくれていたのだろう。
もし、母親が乗ってくれていなければ、きっと僕は神社の中へ入っていってしまう所だったのだろう。
今でも、あの事故は母親が助けてくれたと思う。
最近では自己主張も無くなったのだが、昔は夢に出てきては、いつも寂しいと訴えていた。
何かのイベント事を欠かすと、絶対に母親の夢を必ず見た物だ。
目を覚ますと、ドアが動いていたりして、ああ母が来ていたのだな。と何となく思った物だが。
最近は、そう言う事も無くなってきた。
こういう事を書いていると、背中に誰かがいる気配を感じる位で。
何故か、部屋中の家具が鳴り始めるんだよね。
今も、ラップ音がしています。
そんな訳で、今日の日記はおしまい。
やっぱり、この話題は書いちゃいけない話題なのかも。
ちょっと寒気もしてきました。
そう言う訳で、明日も調子が良ければ、ちょっとした心霊体験なんかを書いて見ようかと思う。
これを見ているオカルト好きな女性は、どんどんメールをくれれば良いと思った。
とりあえず、宗教とは何か?から論争してみませんか?